日本初の星形要塞!歴史を感じながら、雄大な自然を満喫できる
松前藩戸切地陣屋跡は、1855年(安政2年)に江戸幕府による北方防衛のための蝦夷地上知と、それに伴う函館平野一帯の警衛分担命令のために松前藩が構築した戊営(警衛拠点)です。設計者は佐久間象山が開いた洋学塾「五月塾」に学んだ松前藩士の藤原重太(後の藤原主馬)で、日本で初めて星形堡塁構造(星型要塞)を採用した城郭です。四稜郭で6基の砲座が添えられる構造となっており、郭内には17棟の建物跡があって120~160名の松前藩士らが生活していたと考えられています。1868年(明治元年)の箱館戦争では、蝦夷地に上陸した旧幕府軍が進撃してきたため、10月23日に守備隊自らが火を放って撤退しました。 名称について、松前藩は公称として「戸切地陣屋」を用いた(『戸切地御陣屋心得書』や『戸切地御陣家勤中御達書留』など)。このほか俗称として「松前陣屋」(『アナタヒラ松前陣屋絵図面』や『蝦夷之夢』など)、「濁川(村)陣屋」(『峠下ヨリ戦争之記』)、「文月(村)陣屋」(『南柯紀行』や『蝦夷錦』)なども用いられた。なお、幕府の文書には「穴平陣屋」とするものもわずかにあるが、現地名は「アナ・タ・ヒラ」(漢字表記の例では「穴太平」や「穴タ平」など)であり、これを「アナ・タイラ」のように分けるのは現地表記の誤読か誤謬またはその伝播とする指摘がある。 1965年(昭和40年)に国の「史跡」指定では「松前藩戸切地陣屋跡」としている。 戸切地陣屋跡史跡公園は、1977年(昭和52年)に町有地となり、1979年(昭和54年)から国、道の補助を受けて環境整備を行い、2001年(平成13年)に完成した。「日本の歴史公園100選」選定。毎年5月には『北斗陣屋桜まつり』が開かれる。 北海道道96号上磯峠下線から陣屋跡へ続く800mの桜のトンネルは、日露戦争勝利を祈念して函館の呉服商である岩船峯次郎が表御門跡から陣屋登り口までの道に桜を植樹したものである。ソメイヨシノを中心にエゾヤマザクラ(オオヤマザクラ)、ヤエザクラ、珍しいジュウガツザクラ、ギョイコウもある。 なお、新函館北斗駅の南口には真上から見た陣屋の形状を模した花壇が造営されている。