大内義隆公ゆかりの地!歴史と自然に包まれた静寂の寺院。
大寧寺は、山口県長門市にある曹洞宗の寺院で、山号は瑞雲萬歳山(ずいうんばんぜいさん)、正式名は瑞雲萬歳山 大寧護国禅寺と称する。応永17年(1410年)に、長門国深川城主の鷲頭弘忠が、能登国總持寺の禅僧石屋真梁を招聘し、城内に大寧寺の前身となる康福寺を創建したと伝えられている。康福寺は人里に近すぎたため、石屋禅師の高弟智翁永宗が来住した際に協力を仰ぎ、現在の位置に移転して山号を大寧寺に改めた。以降、大寧寺は總持寺の直末寺として高い寺格を維持した。 大内教弘によって鷲頭氏が滅ぼされた後も、大寧寺は大内氏の香華院として庇護された。そして、政争に疲れて流浪の旅に出ていた元関東管領上杉憲実は、この寺で晩年を過ごし、文正元年(1466年)に病死している。 天文20年(1551年)に、大内義隆が家臣の陶隆房の謀反に遭い、山口から脱出後にこの寺に逃れたが、陶軍に包囲される。異雪慶殊(いせつけいじゅ)より戒名を授かった義隆は自刃し、寺も焼失した(大寧寺の変)。その後、毛利氏の庇護を受けて再建された。 明治維新期の住職、四十五世簣運泰成は七卿落ちで京都より落ち延びていた三条実美を保護したが、廃仏毀釈に反対し、明治2年に発生した奇兵隊脱退騒動の処断に抗議して連座することとなり、山口を脱出し愛知の豊川稲荷に落ち延びた。藩の保護がなくなるなど維持管理が行き届かなくなり、老朽化した山門が解体されるなど明治以後は徐々に荒廃しつつあったが、その史的価値から保護保存の声が高まり、昭和40年代以降に境内や本堂などが県や市の有形文化財に指定された。 平成22年(2010年)4月に、歴史資料館「虎渓殿」が開創600年記念事業として開館した。また、同事業に関連して山門再建にかかる費用を6億円と見積っており、現在、再建のための浄財(寄付)を募っている。 大寧寺は、歴史と自然に包まれた静寂の寺院であり、訪れる人の心を落ち着かせる空間を提供している。大内氏や上杉憲実など、多くの歴史人物ゆかりの地であり、歴史好きにはたまらない場所だ。また、境内には山口県指定史跡や長門市指定史跡など、貴重な文化財が数多く残されており、歴史を感じながら散策を楽しむことができる。紅葉シーズンには、境内が美しく色づいて、さらに風情が増すので、ぜひ訪れてみてほしい。