1200年の歴史を持つ田染荘の美しい棚田と、鎌倉時代の屋敷跡が残る台薗集落は、まるでタイムスリップしたかのような風景が広がります。
田染荘小崎の農村景観は、国東半島の南西部に位置する田染地区にあり、宇佐神宮の根本荘園の一つであった田染荘に関連する遺構や、六郷満山による優れた仏教文化を今に伝えています。田染小崎地区は、荘官・田染氏の屋敷跡などがあり、田染荘の中心であったことが知られています。 僧侶達の修行場「夕日岩屋」からは、美しい曲線を持つ古い形式の水田や、鎌倉時代の屋敷跡が多数特定できる台薗集落の様子が一望できます。この景色は元禄の頃に描かれたとされる村絵図と比較でき、数百年の間ほとんど変化がないことが確認できます。 田染荘小崎の緩やかな傾斜地に拓かれた水田では、荘園時代に遡る水利慣行が現代に生きており、岩盤や大岩を利用したイゼ(井堰)や、中世の古文書に見える地名を冠したイゼが多数残されています。また、現代的な水田のように用排水路を持たず、畦を切って水を出し入れする田越灌漑を行う水田も随所に見られます。 台薗集落にも荘園時代の田染小崎をしのばせる風景が残っています。鎌倉時代の「沙弥妙覚田畠配分状(しゃみみょうがくでんぱくはいぶんじょう)」に見える屋敷地名は、現在は屋号として残っており、屋敷地の地割も村絵図と比較して変化がありません。荘官・田染氏の屋敷があったとされる現・延壽寺の周囲には、戦国時代に築かれたとされる土塁・石垣がめぐらされています。 平成28年に追加選定された範囲には、里山の景観が広がっています。田染荘小崎の奥と呼ばれる地区の水田では、ほとんど水稲耕作が行えなくなってしまいましたが、急傾斜地の細谷である奥にとっては貴重な平地であり、クヌギ林や椎茸栽培のホダ場に姿を変えています。クヌギ林やホダ場は、水資源の乏しい谷地における水の涵養にも役立ち、美しい水田と循環しながら、田染荘小崎の農村景観を支え続けているのです。