明治時代のニシン漁で巨万の富を築いた青山留吉が故郷に建てた豪邸。国指定重要文化財に指定された見事な建築様式と、当時の暮らしぶりを垣間見ることができる。
旧青山本邸は、明治時代に北海道でニシン漁で大成功をおさめた青山留吉が、故郷に建てた豪邸です。主屋、小座敷、東土蔵、西土蔵の4棟が国指定重要文化財に指定されており、その当時の暮らしぶりや財力を感じることができます。豪奢な内装や調度品、当時の生活の様子を想像できる展示品の数々を見学できます。特に、主屋は間口12間、奥行7間の規模で、下手の正面に矩折れに角屋を突き出しています。間取りは主要8室よりなり規模が大きく一見複雑に見えますが、茶の間〜中の間〜下座敷〜上座敷と続く構成は、基本的には庄内地方でよく見られるものです。屋根は瓦葺の切妻造で、軒は出桁によるせがい造となっています。室内の意匠は柱や長押、差鴨居などに春慶塗を施した豪奢なものです。また、離れは母屋より少し遅れて明治29年に竣工しました。規模は間口4.5間、奥行3間で、屋根は瓦葺の寄棟造となっています。当時の青塚は茅葺や石置杉皮葺の屋根が連なる漁村でしたので、集落内に出現した瓦葺の母屋の大屋根は、まさに「故郷に錦を飾る」ことが、建築によって表現されたのです。青山留吉は、漁業一筋48年、明治41年に北海道の漁場を養子の政吉に譲り、青塚に隠居しました。晩年は青塚や酒田で過ごしましたが、大正5年4月19日、山形と北海道の両青山家の隆盛を見守りながら、安らかに81歳の生涯を閉じました。旧青山本邸は、明治時代の豪農の暮らしぶりを垣間見ることができる貴重な史跡です。当時の生活の様子を想像しながら、ゆっくりと見学してみてはいかがでしょうか。