栃木宿の北側に位置する、日光例幣使道に沿って発展した歴史的町並み。江戸時代の面影を残す商家や職人の家々が立ち並び、当時の賑わいを今に伝えます。
栃木市嘉右衛門町伝統的建造物群保存地区は、栃木県栃木市の南部に位置し、江戸時代の面影を残す歴史的な町並みです。日光例幣使道に沿って発展した商家や職人の家々が軒を連ね、当時の賑わいを今に伝えています。保存地区は、現在の嘉右衛門町及び泉町にあたり、旧日光例幣使道沿いの町並みを基本とする東西約320m、南北約650m、面積約9.6ヘクタールの範囲です。保存地区内には、見世蔵や土蔵をはじめとする江戸末期から昭和前期頃にかけての伝統的な建造物が群としてよく残り、地形に沿って湾曲する道、巴波川、翁島や陣屋跡の緑等と共に特徴的な歴史的風致をつくり上げています。嘉右衛門町は、天正期(1573~1592)に足利から移り住んだ岡田嘉右衛門によって開発されたと伝わる嘉右衛門新田村があり、畠山藩の陣屋も置かれました。また、平柳新地には、江戸初期に開かれた巴波川の舟運に伴って早くから河岸が設けられました。嘉右衛門新田村や平柳新地の日光例幣使道沿いに商家が進出し始めるのは、江戸中期以降であり、その職種は多種多様でしたが、麻を扱う店舗が多くみられ、江戸末期から明治期にかけて栃木を北関東有数の商業都市に導いていく基盤となりました。明治22年(1889)の町村制実施によって、周辺の村々とともに栃木町に編入され、名実共に地域の商業活動の一翼を担うようになりました。明治23年(1890)発行の「大日本博覧図 栃木県の部」には現在の油伝味噌など4軒の商家と1軒の医院が掲載されるなど、この頃には栃木大通り周辺の大店と肩を並べる豪商も目立つようになりました。歴史的な町並みを散策しながら、当時の暮らしや文化に触れ、歴史を感じてみましょう。