大正時代に建設された高さ135メートルの巨大な電波塔3本がそびえ立ち、当時の技術力の高さを感じられるだけでなく、歴史を感じられる場所です。
針尾送信所は、佐世保市針尾中町にある、旧日本海軍が建設した無線送信所です。1918年(大正7年)に着工し、1922年(大正11年)に完成しました。当時の短波通信技術は電離層の影響を受けやすく、長波通信の必要性が高まっていたことから、針尾送信所が建設されました。3本の電波塔は、高さ135メートルで、基部の直径は約12メートル、厚さは76センチメートル。3本の配置は約300メートル間隔の正三角形となっており、その壮大さは、遠くからも確認できます。太平洋戦争開戦の暗号「ニイタカヤマノボレ一二〇八」を送信した電波塔として名前が挙げられることもありますが、実際には千葉県船橋市の船橋送信所と愛知県碧海郡依佐美村の依佐美送信所が送信したと考えられています。太平洋戦争中には、無線通信には主に中短波が使用されるようになり、針尾送信所の重要性は薄れ、戦争末期には無線塔は食料倉庫としても使われていました。第二次世界大戦後も海上自衛隊および海上保安庁の無線施設として運用され、1997年に後継の無線施設が完成したことにより電波塔としての役割を終えました。2013年に、3基の無線塔のほか電信室、油庫の2棟と附属の土地が国の重要文化財に指定されました。現在では、一般公開されており、見学時間は、平日、土日ともに9時00分 - 16時00分。1号塔は外観のみ見学可能で、油庫と電信室は内部も公開されます。3号塔は内部の出入口周辺部のみ入ることができます。将来的には一帯に見学用通路や案内施設を整え、塔内も見学できるようにする予定となっています。針尾送信所は、日本の近代化を支えた重要な歴史遺産であり、その雄姿は、訪れる人々に感動を与えてくれます。