沖縄で最も古い民家のひとつで、当時の暮らしを垣間見ることができる貴重な文化財です。
中村家住宅は、沖縄県中頭郡北中城村にある歴史的建造物で、国の重要文化財に指定されています。中村家の祖先に当たる賀氏は豪農であり、琉球王国の官人である護佐丸が首里王府の命に従い1440年に読谷から中城城に移った時に共に移り、その近くに居を構えました。護佐丸が阿麻和利に滅ぼされた後は不遇を託つ時代が続きましたが、1720年頃には地頭代(本土で言うところの庄屋)に任ぜられるまでになりました。現在の屋敷は主屋(ウフヤ(母屋)・トゥングワ(台所))・アシャギ(離れ座敷)・高倉(籾倉)・フール(豚小屋兼便所)・メーヌヤー(前の屋・家畜小屋兼納屋)・ヒンプン(目隠し塀)・カー(井戸)で構成されており、周囲はフクギと石垣で囲まれています。 屋根の上には魔除けのシーサーが鎮座しています。瓦は赤瓦が使用されており、漆喰でしっかりと固められています。なお、明治以前は竹瓦が葺かれていました(琉球王国の時代には、瓦は士族階級以上しか認められていなかったため。農民階級である中村家が瓦を用いるのを認められたのは明治も中頃になってからである)。琉球石灰岩で出来た石垣や防風林としてのフクギ、漆喰で塗り固められた重い瓦はいずれも台風に備えるための工夫です。また、屋根はアマハジ(雨端)という、屋根が庇のように出張った構造になっています。これは強い日差しと雨を避けるためのものである。 沖縄戦の戦禍を免れた貴重な家屋であることから、沖縄がアメリカ合衆国から日本に返還(沖縄返還)された当日の1972年(昭和47年)5月15日に、主屋(ウフヤ及びトゥングワ)、アシャギ、高倉(籾蔵)、メーヌヤー(前の屋)、フールが、沖縄本島の民家では初めて国の重要文化財に指定されました。なお、返還以前の1956年(昭和31年)には琉球政府から重要文化財の指定がなされています。